―プトレマイオス朝エジプト―

王朝の創始者プトレマイオス(1世)はアレクサンドロス(大王)の幼少の頃からの友人で、アレクサンドロスが父フィリッポス2世と仲違いした時にも一緒に追放されるくらい近しい存在で、近習的な存在でした。 アレクサンドロス大王の東征には将校として参陣し、後に親衛隊に属しました。そして大王の死後エジプトの総督に指名され、後の王朝の足掛かりを得ました。 彼も大王の有力な後継者の1人として、ディアドコイ戦争に参加しました。合従連衡を繰り返し、頻繁な戦争により領土は目まぐるしく替わりました。しかしエジプト自体はローマ帝国に併合されるまで、終始変わらずプトレマイオス朝の領土でした。 305B.C.には、他の後継者と同様に王の称号を宣言しました。

アルシノエ2世は実弟のプトレマイオス2世と兄弟婚し、ギリシャ人による兄弟婚の始めとなりました。 エジプトの風習として兄弟婚は極あたりまえのことでしたが、ギリシャ社会からは忌むべきことと眉をひそめられました。


(参考)プトレマイオス朝以前のエジプトで発行されたコイン
 アレクサンドロス大王時代、エジプトのメンフィスで発行
 されたテトラドラクマ銀貨です。

 アレクサンドロス大王のメンフィス発行のテトラドラクマ
 銀貨は、他の製造地のものに比べ少ないものです。



サトラップ(総督)時代のコイン (323-305B.C.)
 大王の死後エジプトの総督に指名されたプトエマイオス1世
 が発行したアレクサンドロス銘のコインです。
 それまでのアレクサンドロスの銀貨がライオンの頭皮を被る
 ヘラクレス像で表わされていましたが、最強の動物とされて
 いたライオンから認識が変わり、象の方が強力だということ
 になりアモン神に擬されたアレクサンドロス大王の頭部には
 象の頭皮が被されて表わされました。



プトレマイオス朝エジプトの肖像コイン
プトレマイオス朝銀貨の基本的スタイルは創始者のプトレマイオス1世の肖像で代々発行することでしたが、特別に(理由は不明ですが)歴代の王やその妻の肖像の入ったコインも発行しています。

プトレマイオス1世 (305-283B.C.)
 プトレマイオス1世が発行したプトエマイオス1世自身の
 肖像のコインです。
 プトレマイオス1世は、その特異な風貌が特徴で、すぐに
 分かります。


プトレマイオス1世(3世発行)
 プトレマイオス3世が発行したプトエマイオス1世の
 肖像コイン。
 リアルな肖像を刻印した物は3世までで、4世以降は
 形式化したものになっていきます。



アルシノエ2世フィラデルフォス (273頃-270B.C.共同統治)
 プトレマイオス1世の娘で最初トラキアのリュシマコスと
 政略結婚しました。彼女は先妻の子アガトクレスをを讒言
 により殺害し自分の息子を後継者に望んだとされています。
 しかし夫のリュシマコスがセレウコスとの戦で敗死すると
 今度はマケドニアの王位継承を要求していた異母兄である
 プトレマイオス・ケラウノスと結婚し地位の保全を図りま
 すが、ガリア人との戦でケラウノスが戦死し、マケドニア
 王位もアンティゴノス・ゴナタスが握るとエジプトに戻り
 実弟のプトレマイオス2世と姉弟婚しました。
 そして共同統治者として外交・戦略に力を振るいました。

 アルシノエ2世の肖像コインは希少です。

プトレマイオス3世 (246-221B.C.)
 246B.C.にプトレマイオス2世から王位を継承すると妹で
 セレウコス家に嫁いでいたベレニケ・シュラを助けるために
 シリアに侵攻し第3次シリア戦争を起こしました。
 ベレニケ・シュラとその子が対立者に殺されると、こんどは
 その者たちに対する復讐戦の名分でセレウコス朝の奥深く迄
 侵攻しました。 しかしナイルのデルタで起った反乱のため
 エジプトに戻らざるをえず、その後セレウコス2世が兄弟の
 アンティオコス・ヒエラックスと共同してエジプトに対抗す
 ると、シリアに対し和平を結ばざるを得なくなりました。

 プトレマイオス3世の肖像コインは、非常に希少です。


プトレマイオス5世 (204-180B.C.)
 生まれながらにして形式的には父のプトレマイオス4世との
 共治王とされました。しかし父が死ぬと宰相達の傀儡でしか
 なくなりました。 敵対していたシリアとの間に和平が結ば
 れるとエジプトは比較的安定したものとなりました。

 プトレマイオス1世以外の肖像コインでは比較的入手が期待
 できるものです。



プトレマイオス12世 (80-51B.C.)
 カタログ類にはプトレマイオス1世の肖像とありますが
 このプトレマイオス12世が発行したコインには、どうみても
 プトレマイオス1世とは思えない肖像が刻まれています。
 ひょっとするとプトレマイオス12世の娘クレオパトラ7世か
 またはプトレマイオス12世自身ではないかと私考します。



クレオパトラ7世 (51-30B.C.)
 クレオパトラは、本来ギリシャ人女性の名前としてかなり
 ポピュラーなもので、プトレマイオス朝にも何人か同名の
 クレオパトラがいますが、女王といえばこのクレオパトラ
 7世で彼女はプトレマイオス朝最後の王でありエジプトの
 未来を託しシーザーやアントニウスと結婚したことで多く
 の人に記憶されています。
 また世界三大美女という称号が正しいかどうかはコインの
 肖像からは判断できません。たぶん容貌でなく、その知性
 により讃えられたものでしょう。

 状態の良いクレオパトラ7世の肖像コインのは希少です。
 通常はF程度の状態のものがほとんどで、VFクラス以上は高価です。




プトレマイオス朝の銅貨 いろいろ
ほとんどのプトレマイオス朝の銅貨は、ヘレニズム期エジプトの主神ゼウス・アモン像を刻んでいます。(ゼウスアモンはギリシャ的なものとエジプト的なものの融合の象徴ともいえるものです)
ただしプトレマイオス1世の時代にはヘレニズム的融合が進んでいないのか、ゼウス・アモンではなく、まだゼウス像が刻まれています。



大部分のプトレマイオス朝銅貨の呼称は分かっていないようで、現在はその直径(mm)で区別しています。 AE42とは直径42mmの銅貨ということです。




参考資料:古代ギリシャ人名事典 (原書房)、GREEK COINS AND THEIR VALUES(Seaby)

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