―ディアドコイ(後継者)―

アケメネス朝を倒したアレクサンドロスは、さらに続行したインド遠征からバビロンに帰着しますが、行軍の疲れからか熱病に冒されそこで病没してしまいました。 後継者問題では飛び抜けた実力者がいなかったので、アレクサンドロスの部将達による遺領の争奪戦(ディアドコイ戦争)が始まります。 コインに残るディアドコイの武将達はごく一部に限られます。 もともと特定の人間を刻むことは神に対する冒涜と考えていたギリシャなので、東方の影響を受け、王として自身の像を刻みはじめた当初はまだ少数派だったようです。

270BC頃の勢力図


大王の後継者達のポートレートコイン

●プトレマイオス1世ソテル(救済者):プトレマイオス朝エジプトの創始者 
 大王の父フィリッポス2世から指名された少年時代からのお側衆でした。 ペルシャ遠征には当初一将校として従軍し
 後に親衛隊に属しました。 大王の死後、エジプトの総督となり後に王を名乗り王朝をひらきました。
 総督時代は象の頭皮を被るアレクサンドロスの肖像コインを、王を名乗ってからは自身の肖像コインを発行しました。

●セレウコス1世ニカトル(征服者):セレウコス朝シリアの創始者
 大王の参謀でインド遠征では近衛部隊の指揮をとりました。大王の死後はバビロンの太守に任命されました。
 その後いろいろな経緯を経て対抗者同様王を名乗りセレウコス朝をひらきました。
 セレウコス1世は自分の肖像コインを発行しませんでしたが、子供のアンティオコスとアッタロス朝のフィレタイロスが
 発行した(下記)稀少品があります。

●デメトリオス1世ポリオルケテス(攻城者):アンティゴノス朝の創始者アンティゴノス1世の息子(2代目) 
 有能な軍の指揮官で父のアンティゴノスと共同でディアドコイ戦争を戦いました。 ロドス攻略時(不成功に終わるが)
 に最新の攻城器を使いポリオルケテス(攻城者)とあだ名されました。
 アンティゴノス1世はおそらくアレクサンドロスタイプのコインを発行していたと思われ、肖像コインはありません。
 デメトリオス1世も当初はデメトリオス銘のアレクサンドロスタイプでしたが、後に自身の肖像コインを発行しました。

●フィレタイロス:アッタロス朝ペルガモンの創始者
 当初アンティパトロス*の部下でしたが、リュシマコスに寝返り宝庫のあったペルガモンの管理を任されました。
 しかしリュシマコスがお家騒動で不穏になると今度はセレウコス1世に寝返りました。 リュシマコスとセレウコス1世が
 相次いで戦死すると、周囲を窺うことなく独立した王国となることができました。しかし発行するコインにセレウコス1世
 の肖像を刻むなど、形式上はセレウコス朝に忠誠を誓いました。
 次のエウメネス1世(フィレタイロスの甥で養子)の時代になるとセレウコス朝との従属関係を断ち切るためエジプトと
 同盟しアンテオコスを撃ち破り独立を確かにし、コインもアッタロス朝の創始者フィレタイロスを刻んだ物に変えました。
(*アンティパトロスは大王の信任厚いマケドニアの武将で、ペルシャ遠征時には留守のマケドニア統治を任された)

これらのコインはセレウコス1世の肖像コイン(特に希少)を除き、努力次第で手に入れることができるでしょう。
他にもリュシマコス、カッサンドロスなど有力後継者達がいましたが、自身の肖像を入れたコインは発行していないようです。




参考資料:古代ギリシャ人名事典 (原書房)
  
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