―アテネ―

アテネ市はもともと別の名前でしたが、この名前になったのには次のような伝説があります。 あるとき神ポセイドンと女神アテナの二人がこの市を自分の保護下に置きたいと思い、大神ゼウスに交渉しました。ゼウスはオリンポス12神にはかり「市民に対し、より有用な物を授けた方を市の守護神とする」と決めました。ポセイドンは使い慣れた三又槍を大地に突き刺し、塩水を噴き出させそれを美しい馬に変えました。 アテナも負けずに槍で大地を突き刺してオリーブの木を生やしました。人々はオリーブを選び、こうして市はアテナの保護を受けることとなり、市の名前もアテネとなりました。(ポセイドンが噴き出させたのが塩水だったので飲み水に適さなかったから、との説もあります) 

ペルシア戦争の時、アテネ市民は女神アテナに勝利を祈願し、願い通りペルシャに勝つことができると彼女に感謝し神殿を建立しました。これが有名なペリクレスのパルテノン神殿です。(パルテノン神殿の建設にはデロス同盟の基金が流用されたといわれます) ペルシア戦争の後、またペルシアが攻めてきた場合を想定して、各ポリスはアテネを中心にデロス同盟を結成しました。しかし植民地などをめぐりアテネと敵対していたスパルタにとって大きな脅威でした。 そのためスパルタはデロス同盟に加わらなかったコリントなどとペロポネソス同盟を結成し対抗しました。 そして前431年ついに戦端が開かれます、これがペロポネソス戦争です。 アテネは籠城戦を採りますが疫病の蔓延で苦境にたちます。さらに前413年には起死回生のつもりであった、シチリア島遠征でシチリア/スパルタ連合軍に完敗すると、デロス同盟からの離脱が相次ぎ前404年ついにアテネはスパルタに降伏したのでした。
要約すると”アテネはペルシャ戦争を経て隆盛しますが、それに起因したペロポネソス戦争で衰亡していった”といえるでしょう。


   主なアテネのコインと変遷

   ペルシャ戦争からペリクレス時代の前まで、フクロウの尾が三つに別れているのが特徴。
   前髪がうねっている方がより古いタイプのようです。


   前髪がうねっていないタイプ。
   フクロウはややふっくらしている。尾が三つに別れている特徴はそのままである。


   ペリクレス時代への移行期と思われるタイプ。
   両方の特徴を合わせ持っているが、フクロウの尾はまとまり長くなる。


   ペリクレス時代、アテネがもっとも輝いていた時代。
   フクロウの形が大きく異なっている。第三の目が付く。


   ペリクレス時代後期?
   アテナの目とフクロウの形が次の時代との移行的な形となる。


   ペロポネソス戦争以後の時代
   アテナの目がアルカイックのアーモンド型ではなくポートレート的な形となる。


   ペロポネソス戦争末期の時代
   表裏共かなりデザインがくずれてきています。長引く戦争により疲弊が激しかったのではと想像させられます。


   いわゆるニュースタイルと呼ばれているタイプ。
   ローマの属領下で発行されたもの。表裏の組み合わせは同じだが意匠は大きく変わる。


   これらの他にもいろいろなタイプがあります。




  
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