―カルタゴ―
カルタゴは日本との比較で最近脚光をあびるようになってきましたが、依然として名前ほどには知られていない国ではないでしょうか。 地中海に覇をとなえ貿易立国として名をはせましたが、ローマが同時期に興隆したため、両雄並び立たずで3度の戦いの末この地上から抹殺されてしまいます。 そして敗者の常として、勝者からその歴史は全くおとしめられてしまいます。どこかの極東の国と似ていないこともありません。(faith は信義、誠実ですが、Punic faithとなると信義のない、裏切りの となってしまいます) カルタゴはもともと古代フェニキア人の植民市で、その二次植民の土地としてシチリア、スペイン、サルディニア等があります。
カルタゴの創建は、(今のレバノンの)テュロス(=ティレ)から亡命してきた王族により始まったと伝えられています。 伝説によるとフェニキア人の王妃エリッサは、王位を狙う兄により夫の国王を暗殺され、エリッサ自身も命を狙われたので忠実な家来達と船で国を逃れたといいます。 まず地中海を西へ向いキプロス島へ立ち寄り、島の神官とその娘80人を一行に加え、さらに西へ向いました。 そして地中海の西の果て、ジブラルタル海峡を越えますがそこから東へ引き返し、一旦エジプトへ立ち寄りますが、ふたたび西へ引き返しました。
やっと地中海のなかほどに素晴らしい場所を見つけ、エリッサはそこを安住の地と定めることにしました。 さっそく現地の住人と土地の分譲を交渉しますが住人は意地悪く一頭の牛からとれる皮の分だけ譲ろうと答えます。エリッサは一計を案じ牛皮を切り裂いて細長い紐を作り、その紐で地面を囲い土地の獲得しました。
こうして、紀元前八世紀カルタゴ(新しい町=フェニキア語でカルト・ハダシュト)ができあがったということです。 詳細はともかく、大まかなところでは信じてもよいのではないかと思います。
カルタゴと主な周辺国
カルタゴのコインは本国に先立ち、シチリアで軍人への給与用(ギリシャ人植民市との戦い)として製造され始めたようです。 これらのコインをシクロ・ピュニックコイン(シチリアのカルタゴコイン)として一まとめにしています。
またパノルモス(現在のパレルモ)などシチリアのカルタゴ系都市が発行したコインは、これらと区別されています。
※Siculo:シクロ=シチリア
※Punic:ピュニック(ポエニ)=フェニキアの別読み、カルタゴのことを指していたようです
カルタゴとシチリアのカルタゴ系のコイン
最初期のシクロ・ピュニックコイン
シクロ・ピュニックのコインは銀貨、それもテトラドラクマ貨
が主でした。
デカ(10)やドデカ(20)ドラクマ銀貨もありましたが稀です。
テトラドラクマ銀貨
5B.C.終り頃
表面アレクサンダータイプのコイン
東方でアレクサンダーが帝国を形成すると、これに倣って
表面をアレクサンダータイプにしています。
テトラドラクマ銀貨
325-300B.C.
カルタゴ本国のコイン
カルタゴ本国では貿易で得た潤沢な金を元に金貨を
発行しています。
しかし度重なる戦役で次第に金質を落とし、のちに
銀との合金エレクトラム貨になります。
シケル エレクトラム貨
290-280B.C.
カルタの銅貨は金銀貨と同様、すばらしい馬のデザインが見られます。 AE18 銅貨 2世紀後半-3 B.C.
シチリアのカルタゴ系都市パノルモス(パレルモ)のコイン
表裏ともシラクサで発行されたコインに倣って同じ意匠で
作られています。
フェニキア文字がなければ区別がつきません。
テトラドラクマ銀貨
340-320B.C.
参考資料:知の再発見/カルタゴの興亡(創元社)、地図で読む世界の歴史/古代ギリシャ (河出書房新社)
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