―セレウコス朝シリアの諸王の肖像コイン(3)―

セレウコス(6世)がアンティオコス9世を殺害し王位を奪ったことを発端として、アンティオコス8世、9世の子孫達が絶間ない相続争いを繰り広げる王朝末期の時代に突入することとなります。 王朝末期には在位期間が少なかったり国内が混乱していたため、コインの存在数も少ないものが多く、見栄えの割に高価なものが多いものです。


セレウコス6世 エピファーネス・ニカトル 96―95B.C.

アンティオコス8世の子供セレウコスは、伯父のアンティオコス9世を殺害しセレウコス6世として王位に就きますが、今度は反対にアンティオコス9世の子供であるアンティオコス(10世)に殺害されてしまいました。
セレウコス6世のコインは、その在位年数が少ない割に存在数は普通です。


アンティオコス10世 エウセベス・フィロパトル 95―92B.C.

父アンティオコス9世をセレウコス6世に殺されたアンティオコス(10世)は、その報復に今度はセレウコス6世を殺害しアンティオコス10世として即位しました。そして彼の生涯はセレウコス6世の子供達との王位争奪戦争に明け暮れることになりました。その子供達の内アンティオコス11世を倒しますが、最後はパルティア人により殺されました。
アンティオコス10世コインはかなり多く存在します。

アンティオコス11世 エピファーネス・フィラデルフォス 93B.C.

キリキアのアンティオコス11世はアンティオコス8世の子供で、兄弟のセレウコス6世を殺害したアンティオコス10世に兄弟のフィリッポス(1世)と共同で対抗しましたが、逆にアンティオコス10世殺されてしまいました。
アンティオコス11世のコインは、とても希少です。


デメトリオス3世 フィロパトル・ソテル 95―88B.C.

ダマスコスのデメトリオス(3世)はアンティオコス11世と同じアンティオコス8世の子供で、従兄のアンティオコス10世に対抗しました。その後アンティオコス10世はパルティアとの戦いで死にますが、デメトリオス3世もパルティアとの戦いで捕われてしまいました。
デメトリオス3世のコインは、やや少ないようです。


フィリッポス1世 エピファーネス・フィラデルフォス 93―83B.C.

キリキアのフィリッポス(1世)はアンティオコス8世の子供で、兄弟のセレウコス6世を殺害したアンティオコス10世に、兄弟のアンティオコス11世と共同で対抗しました。 アンティオコス11世がアンティオコス10世に殺害されると、王位継承はもう一人の兄弟のデメトリオス3世との2人に絞られました。 デメトリオス3世がパルティアとの戦いで捕われると、今度はもう1人の兄弟アンティオコス12世が王位継承争いに加わりましたが、アンティオコス12世はナバタイア人との戦いで戦死しました。在位期間が比較的長かったので、青年像から壮年像まで存在します。
フィリッポス1世コインはかなり多く存在します。


アンティオコス12世 エピファネス・フィロパトル・カリニコス 通称ディオニソス 87―84B.C.

アンティオコス12世は、兄弟のフィリッポス1世との王位継承争いに加わりましたが、アンティオコス12世はナバタイア人との戦いで戦死してしまいました。
アンティオコス12世のコインは、ごく希少です。


ティグラネス1世 83―69B.C.(アルメニア王 95―55B.C.)

ティグラネスはパルティアの人質になっていましたが、パルティア王のミトラダテス2世によりアルメニアの王に据えられました。 その後パルティアは内乱状態になったので、ティグラネスはアルメニアの領土を拡大することができました。 このころセレウコス朝はお家騒動が続き国土が荒廃していたので、セレウコス朝の国民はティグラネスを有能な君主と思い、秩序回復のため彼に王位を与えました。これによりシリアは一時的にアルメニアの属領になりました。 実際ティグラネスは有能な為政者だったので彼の治世下で秩序は回復し平和と繁栄がもたらされました。 しかしティグラネスがポントスのミトリダテス(ローマと敵対していた)と同盟を結ぶと、ローマとの戦争に巻き込まれ東方への撤退を余儀無くされました。 これによりアンティオコス13世はアンティオケイアに帰還し、王朝最後の王位に就きました。


フィリッポス2世 67―66B.C.

フィリッポス1世が没すると子供のフィリッポス2世は、アンティオコス10世の子供のアンティオコス13世と王位争いで対立しました。 打ち続く王位争いに嫌気が差した国民は国政をアルメニア王ティグラネスに委ねたため国を追われました。
フィリッポス2世のコインは発行されていないようです。


アンティオコス13世 フィラデルフォス 通称アジアティコス 69―64B.C.

ローマとの戦争でティグラネスが東方への撤退を余儀無くされると、アンティオコス10世の子供アンティオコス(13世)はアンティオケイアに帰還し、王朝最後の王位に就きました。
存在数は少ないです。


ローマ属領期のコイン(エピファーネス・フィラデルフォス)64B.C.以降

アンティオコス3世以降セレウコス朝に干渉し続けてきたローマでしたが、アンティオコス13世とフィリップ2世の王位争いを期に、弱体化したセレウコス朝シリアを完全にローマの属領にしてしまいました。 属領化の後も混乱を避けるためか、当地発行の通貨は従来の形式を踏襲したものを発行し続けました。 表面は形式化した王の肖像、裏面はフィリッポス1世の銘文が踏襲されています。 
かなり多く存在します。



参考資料:古代ギリシャ人名事典 (原書房)、GREEK COINS AND THEIR VALUES(Seaby)
  
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